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■ IT時代と子どもの人格形成(1)

 私は会長就任の挨拶の中で、会長インフォメーションではできるだけロータリーに関する話、奉仕活動のヒントになるような話しを心掛けたいと申しましたが、私は常日頃、日本の若者たちが健全に育ってほしいと望み、それを阻害しているさまざまな問題要因は何かについて関心を持って見ています。このような関心から、当面は、「若者たちの育ちの問題点」について話していきたいと思います。先日お話しした「いじめ」の問題も、そういう視点からの話だとご理解ください。このような「若者たちの育ちの問題点」の話は、新世代奉仕や社会奉仕と大きく関連し、青少年の支援に繋がる話になると思います。というわけで、本日は、柳田邦男氏が乳幼児保健講習会において講演された「IT時代と子どもの人格形成」の話を3回に分けてご紹介いたします。

<情報環境の激変と子どもたちの心の発達に与えた変化>
1990年代、ゲームが技術的に発達し、テレビ画面を使うものは一段と複雑で刺激的なものへと進化し、おもちゃに類するものは小型化・低廉化が進んで、広く子ども社会に普及・浸透しています。そこへ携帯電話とパソコンが加わり、2000年代に入ると、インターネットによるメール、ホームページ、電子掲示板などで、子どもを取り巻く情報環境は激変しました。
 以上のこの20年の変化と平行して、子どもや若者の非行や凶悪事件の動機が、従来の感覚ではとうてい理解できないものになりました。教育現場からは、子どもたちが気持ちを言葉で表現する力が乏しくなり、自己中心的で、粗暴になったという声が出ています。しかも、そういう子どもたちの親が、あまりに自己中心的で、教育現場では対応に苦慮しているという悲鳴も聞かれます。

<アメリカの小児科学会の勧告>
 アメリカの小児科学会は、1990年以降、2歳未満の子どもには、内容に関係なくテレビを見せるべきではなく、それより大きい子どもたちでも、親が一緒に番組を選択し、視聴時間をできるだけ短くすべきであると、繰り返し勧告しています。その理由とするところは、2歳までの子どもたちの脳の発達にとって、人の感情を認知する能力の芽生え、即ち社会性の発達にとって最も大切なのは親や世話をしている人たちとの直の言葉の遣り取りであるからと述べています。テレビ漬け、ゲーム漬けになること自体が脳の正常な発達や人格の形成をゆがめるということを、明確に指摘しています。
 ちなみに、拙宅でも子どもが小さい頃は、番組と、視聴時間を制限し、且つテレビが置いてある部屋とダイニングルームを別にして食事中はテレビを見せませんでした。

<アメリカの言語・思想の研究者バリー・サンダースの「本が死ぬところ暴力が生まれるー電子メディア時代における人間性の崩壊―」など専門家の分析>
 電子メディアの映像情報は極めて刺激的でスピードが速く、ゆっくりと感情をかみしめたり、納得いくまで考えたりする時間を与えてくれない。とくにゲームの場合、脳内で働くのは、攻撃、怒り、悔しさと言った激しい負の感情と、反射的に操作する運動反応のみで、一方的に流されるバーチャルな映像情報からは、相手への配慮や思いやりと言ったきめ細かな感情は発達しない、という分析です。しかし、このような専門家の分析を待つまでもなく、我々は早くから電子メディアの危うさを日常感覚で感じているのではないでしょうか。
 ところが、1980年代以降になると、所得水準の向上と子どもの放任傾向に加え、テレビ受像機の小型化・低廉化、ビデオの普及、ゲームの普及によって、子どもたちが自宅で好きなだけテレビ、ビデオ、ゲームに浸るようになりました。ゲームの場合、怖しいのは、ボタン操作で自分が思うままに世界を支配できるという幻想を植え付けることで、このようなゲームが人格をゆがめないはずがありません。
 こうした危惧を現実にデーター化してくれたものに、教育評論家の尾木直樹氏の1998年の調査があります。尾木氏は、全国の保育士456人を対象に最近の親子の変化に関するアンケート調査を行いました。それによると、大多数の保育士たちは、4〜6歳の子どもたちについて、@夜型生活A自己中心的Bパニックに陥りやすいC粗暴D基本的しつけの欠落D親の前でよい子になる、と指摘しています。
 このような4〜6歳の子どもたちの自我が表面に出てくる小学校高学年になると、どんな人格構造を持った少年少女になるのか、については次回にお話しさせていただきます。