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■ ドイツの脱原発政策から日本の福島原発事故を考える

 日本の国民は原発の安全神話を説かれて信じ、現在日本の電力のおよそ4分の11を原子力発電が占めている。そこに福島原発事故が発生し、その後始末にどれくらいの期間と費用がかかるのか。チェルノブイリ原発爆発事故では、10年を経過してもなお深刻な汚染被害がつぎつぎに報道されているところをみると、福島原発の場合、大規模な除染作業、汚染水の浄化作業、溶融した炉心の解体をはじめ、機器・建屋の解体など今後10年かけて後始末を行う必要があり、費用としては、数千億円が必要になると考えられている。地震列島のこの国で、果たして安心して原発に頼ることができるのか。

 ドイツと日本の共通点は多い。ともに戦争に負け、戦後目覚ましい経済成長を成し遂げた。物作りが得意で、出生率が低く、高齢化が急速に進んでいる。
 一方違う点も多々あるが、最近目立ったのは原発事故への対応の違いである。
 福島原発事故に最も敏感に反応した先進国はドイツ。ドイツのメディアは連日事故を大々的に取り上げ、ドイツ大使館は大阪に機能を移し、本国に帰国するドイツ企業幹部も相次いだ。メルケル政権は、福島原発事故を受けて、2022年までの原発全廃を決め、この決定は世界に衝撃を与えた。しかし、この脱原発と言う方向は、ドイツでは既定路線だったという。ドイツは元々、原発事故や核のゴミのリスクを深刻にとらえ、CO2の削減にも熱心に取り込んできた経緯があり、メルケルの転換はドイツ世論の基調を踏まえた判断でもあった。ドイツの世論が醸成されるについては、チェルノブイリの原発事故で1000キロ離れたドイツが放射能で汚染されたこと、自然環境を大事にする国民性、東西冷戦の最前線にあったドイツは、米ソの核戦争の舞台になることへの恐怖が強く、それが反原発に繋がったこと、緑の党がドイツの現実主義の中で、原発即時廃止を撤回し環境保護を探る政党に脱皮し、ドイツ統一後連立政権の一角を占めて長期的な脱原発政策を決めたことなどが挙げられている。
 このドイツの脱原発政策について、日本では、ドイツは石炭の産出量が多く、陸続きで9カ国と接しており電力が足りなければ他国から輸入できるが、日本は、海に囲まれた島国で電力が不足すれば深刻な状態になると、経済安全保障の観点から参考にならないという意見が多い。
 だがドイツは、輸入に頼ろうとしているわけではない。ドイツでは再生エネルギーの割合を大幅に増やした結果、電気料金が大幅に上昇しておりそのことへの反発も高まっているが、それでも世界各国に対し、原発に頼らずエネルギーを自給し、低炭素社会も実現できるモデルを示すとの理念を掲げた。この理念を掲げたについては、厳しい環境基準を設けることで、エネルギー産業の技術改革が起こり、経済成長が促されるとの考えに基づく。

 これに対し日本はどうであろうか。地震国で津波が多く、世界で唯一の原爆被害国であり、放射能汚染で数十万人が難民状況になり、今後福島には安心して住めないのではないかというような大きな原発被害があり、放射能の恐怖を世界で1番知っているはずの国、にもかかわらず原発事故後の最初の選挙で脱原発派が勝利を収めなかった。2030年代に原発ゼロという民主党の政策を安部政権が白紙に戻すなど、日本の脱原発がドイツほど大きなうねりになっていないことは確かで、ドイツでは日本のこれらの動向に驚いた人が多いと聞く。
 その原因は、電気代が高騰して不況を深刻化させかねないといった経済的懸念が主因だろうが、日本の政治の場でドイツのような根本的な理念をめぐる議論が盛んでなかったことも関係があるかもしれない。
 ドイツが、厳しい環境基準を設けることで、エネルギー産業の技術改革が起こり、経済成長が促されるとの考えを持つに至ったのは、日本から学んだ面がある。ドイツでは、日本の1970年代の厳しい排ガス規制や公害対策などを研究し、先進的な環境政策と経済成長は両立することを見いだし、ドイツ政府の政策にも影響を与えたと言われている。日本はかってはドイツのモデルだったが、環境政策が国際化する中で日本は政策を発展させなかったと残念がる。
 脱原発を決めたドイツの道のりは平たんではないが、現実に揉まれながら、国としての哲学や理念を持ち続けることによる正負の重みを世界に示そうとしている。技術立国だと言われていた日本が、自ら作った厳しい環境基準を設けることでエネルギー産業の技術改革が起こり、経済成長が促されるというモデルを放棄するのか発展させるのか、今早急な国としての哲学や理念が求められている。(この原稿を作成するにあたっては、朝日新聞グローブ、H25.2.3の記事を引用させていただきました。)