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■ 傍観者であってはならない(大津中学2年生転落自殺をきっかけとして考える)

 平成23年10月、大津市の市立中学2年生の男子学生が、外見(そとみ)からは仲がいいと思われていた同級生3名から金をせびられ、自殺の練習まで強要された上、飛び降り自殺に追い込まれたというニュースが、最近の新聞紙面を賑わせています。皆様も大変ショックを受けられ、なにか的確な対処法はないのかと、心を痛めておられることでしょう。今日は平尾潔弁護士が中学校で講演した「いじめ予防授業」を素材として、いじめによる自殺を防止する基本を学び、そこから導き得る教訓「傍観者であってはならない」をお話しいたします。
 いじめと言うと、皆さまは東京の中学2年生の鹿川裕史君が亡くなったことを思い出されるのではないでしょうか。いじめっ子の主導の基に、クラス全員が彼のお葬式ごっこに参加し、彼の机の上には「さようなら鹿川君クラス一同より」と書かれた色紙が置かれました。ほとんどの子が、先生さえもがその色紙に名前を連ね、彼が友達だと思っていた子までが署名したそうです。彼は盛岡までひとり旅をし、「俺だってまだ生きていたいけども、生き地獄になっちゃうよ」という遺書を残してデパートのトイレで首を吊って亡くなりました。人は誰でも幸せに生きる権利があります。鹿川君もその1人のはずなのに、彼は生き地獄と思うほどの苦痛を味あわされたのです。
 いじめている子。軽い気持ちでやっている。だけどその子も確実に自分の良心が傷ついている。ある女性は子どもを産みこれまでにない幸せを感じたときに、過去に自分がやったいじめを思い出し、自分の子が自分がやったようないじめを受けたらと思うといても立ってもいられなくなって、いじめた相手に会って謝りたいと手紙を書いたそうです。その返事が、絶対会いたくない、謝って欲しくもないだったそうです。後になって悔やんでももう取り返しはつかないのです。
 いじめを受けている子。あなたは1人じゃない。あなたのことを大切に思い、あなたがいなくなったら心の底から悲しむ人たちが沢山いる。あなたが気づいていないだけです。学校の先生、お父さん、お母さん、友達、誰でもいい。もし打ち明ける人がいなければ電話相談でもいい。コップの水があふれそうになったら、その前に誰かに打ち明けてください。自殺未遂を経験した人に聞くと、それまで我慢を重ねた結果心の中のコップの水がいっぱいになって、心ない一言・一滴によって、水があふれるように死を選ぶそうです。
 いじめを煽っている子。あなたの煽りが最後の一滴になるかもしれない。
 いじめを黙ってみている傍観者。あなたこそいじめを止めやすい位置にいるのです。あなたにできることは沢山あります。君は一人ではないと話を聞いてあげる、受け止める、共感する、それだけでも自殺を思いとどまらせる大きな力を人に与えることができるのです。
 私は多くのロータリアンと同じく、いじめによる自殺に心を痛め、何か自分にできることはないかと自問しています。
 ところで、いじめの場面に出会うことはなくても、多くの人がいろんな場面で「傍観者」になり得る可能性はあります。私が忘れられない事件は、平成18年8月夜、JR北陸線の大阪行き特急サンダバード50号の中で、2人掛けの席に1人で座っていた21歳の女性の隣に36歳の男が腰掛け、約1時間にわたり女性にわいせつ行為を繰り返し、女性のすすり泣く声が漏れてきて車内は異様な空気になった。その後男は女性を引きずって行き、トイレやカーテン1枚で仕切られた洗面所の中で暴行を執拗に繰り返した。車内には40人ほどの乗客が乗っていたが、乗客は男と目を合わせないようにし、女性の助けを求める声に誰も応じようとしなかった。この男は前にも、同じような手口で走る列車の中や駅の公衆トイレの中で若い女性を乱暴していたという事件です。当時多くの方が、女性を助ける方法はあったはずだ。男にすごまれて恐ろしかったとしても、他の乗客と協力するとか、車掌に通報するとか、携帯電話で110番するとかと、きっと思われたはずです。
 特に、あらゆる場面で「奉仕の理想」を心がけるロータリアンとしては、問題場面に出遭ったら、傍観者の位置から一歩踏み出して率先して行動していただけるはずです。「傍観者であってはならない」ですよね。
 余談ですが、高校の寮でのいじめで民事訴訟となった事件で、私はいじめた方の訴訟代理人となった経験がありますが、慰謝料を支払う方向での妥当な落とし所で解決いたしました。