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■ 障害者の差別を禁止する法

 本日は、先週お話しした「知的障害のある人」の続きです。
障害者に対する人権侵害は日本だけの問題ではなく、世界各国共通の課題です。包括的な障害者の差別禁止法を制定している国は、1990年のアメリカのADAに始まり各国に広がって、日本弁護士連合会の調べによると、世界40カ国以上で類似の法律があるということです。‘07年には韓国が「障害者差別禁止及び権利救済等に関する法律」を制定しています。
 ところで日本政府は、‘06年の国連総会で「障害のある人の権利条約」が採択された後も、同条約に必要な障害者の差別禁止法等の国内法の整備が遅れ、未だに同条約の締結に至っておりません。
 国が作らないのであれば、自治体が条例で制定しようという動きも各県でありましたが、ことごとく挫折してきました。
 そのような中、‘06年秋、千葉県議会で「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が可決、成立しました。障害者への差別や虐待を禁止し、具体的に救済する手続きについて定めた条例で、日本で初めてのことです。
 ‘01年に堂本暁子知事が初当選してから、政策づくりの段階から県民の参加を得て福祉を作っていこうという試みが始まりました。働いている人や子育て中の主婦など、切実なニーズを持った現役世代の「生活者」が政策作りに参画できるように、会議はいつも夜の県庁で開かれました。県庁職員が退庁する人波に逆行して、盲導犬を連れた人や車いすの人が県庁の夜間出入り口から集まって来ました。
 この条例原案は、障害者や家族を中心とした民間の研究会が丸1年をかけて作りましたが、議会では反対されて一旦は撤回に追い込まれました。
 それでも、障害のある人や家族が県議会の度に傍聴に訪れ、議員を一人一人説得して歩きました。それまでは、誰が県議会議員なのか、いつ県議会が開かれるのか、どうすれば傍聴できるのか、誰も知りませんでした。そんな障害者の親たちが県内各地で開催した勉強会では、どこでも地元の県会議員や市会議員が参加して熱心にメモをとる姿が見られました。医師会や経済界、老人クラブ連合会などにも賛成の波が広がり、知事や県職員も一丸となって動きまわった結果、あれだけ反対していた議会内にも賛成の輪が広がっていき成立となったのです。朝日新聞は、この条例のことを「キラキラ光る民主主義の結晶」と紹介したそうです。(この原稿を作成するにあたっては、野沢和弘氏の人権のひろば・66号の論考を引用させていただきました。)
 「民主主義の結晶」と紹介されるように、法律や条例は議員や役人が作るものと思われてきました。そういう意味では、この千葉県の条例は珍しい、市民参加の先例となる条例だということができると思います。
 ところで余談になりますが、この条例と同じ頃に、同じように市民が参加し主導してできた条例がありますのでご紹介したいと思います。
 私も関わりましたので手前味噌になりますが、「伊丹市まちづくり基本条例」は、平成14年1月に公募委員15名、団体代表15名の計30名で、21回の全体会と17回の運営委員会を経て、平成14年12月1日に市長へ条例の提言を行い、「伊丹市まちづくり基本条例」として制定されました。「まちづくり基本条例」としては日本の自治体の中で早い段階で作られたというだけでなく、市民が主導して作った条例であるという意味でも、良い意味で特異な先例となる条例でした。私はこの条例を作る最初の段階からアドバイザーとして関わりました。これまでの条例制定の審議会方式とは全く異なった運営方法をとり、まちづくり基本条例をつくる会では、互選で1人の委員長と2人の副委員長を選任し、運営を始め、議事録の作成や提言書の作成まで、すべて委員自らが塾議し決定しました。伊丹市職員は、場所の設定等の事務に徹し、資料や下案の作成等内容に関わることには一切タッチしませんでした。この「伊丹市まちづくり基本条例」は、伊丹市民が、私たちのまちは、私たちで考え、私たちでつくっていこうという考えで貫かれてできた、「キラキラ光る民主主義の結晶」の1つです。日本の各地域において今後も益々「キラキラ光る民主主義の結晶」が増えて行くことを期待して、今日の会長インフォメーションを締めくくりたいと思います。