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■ 対人援助学と東日本・家族応援プロジェクト | |
立命館大学大学院応用人間科学研究科は、「諸科学の連携と融合」を合言葉に、「対人援助学」という新しい学問領域の創造に取り組んで10年になります。 「対人援助学」とは、これまでの学問領域を越えて、広く「人を助ける」という実践行為について、その作業を当事者の決定を軸に過不足なく行うための方法を考える新しい学問です。 その精神として@人間をトータルな存在としてとらえる。科学技術が発達した結果対人援助についても専門分化されがちですが、被援助者を家族やコミュニティの中で生活を営み続ける存在として人間丸ごとを捉える。A連携と融合。困りごとを抱える被援助者を援助するには、この人を中心に置いて周りを取り巻く家族・友人・コミュニティ関係者・支援者達が連携しながら支援体制を整え、環境を整備する。そのためには、あらゆる専門家達が従来の専門領域の壁を越えて協働し、融合していく必要がある。B1対1の直接援助に始まるが、それを越えて、社会的弱者の声を代弁して社会に向け発信し、社会制度やシステム構築に反映させていく責任がある、の3つが挙げています。 身近ではない「対人援助学」を少しでも分かっていただくために、「ラースとその彼女」という映画を例に挙げてお話しします。 ラースは親切で礼儀正しい青年だが、心を閉ざして生きてきた。妄想の世界に入り込み、ダッチワイフを、ビアンカというブラジルの孤児院で育った修道女で、この国に伝道に来たけれど盗難被害に遭い、足が悪くて車椅子が必要な、自分の彼女だと妄想している。ラースは彼女を援助するために他者の援助を求めるところから物語が始まる。驚いた兄夫婦は、心理学者でもある医者に相談するが、最終的には妄想を抱いているラースの世界を受入れるしかないという助言を受け入れ、街の人々の理解を求めて行動し始める。 普通なら専門分化した薬物や精神医療で対処するところを、人間を丸ごと捉える「対人援助学」の視点から見直すと理解し易い物語です。 兄夫婦も医者も教会や街の人々も、戸惑い、迷いながらもラースの世界を尊重し、寄り添う中で、ラースの物語が変化していく。人形であるビアンカがボランティアを行うことで病院や街の人々が助けられ、それによってラースに葛藤が生じ、他者との間にそびえていた壁が破られて行き、ラースは対人関係の問題や妄想から解放され、その頃には彼にかかわった人々や街のあちこちで理想的な変容が起こる、というちょっと不思議な、しかし心温まる物語です。 ここで話は変わりますが、昨年の3月11日に起こった東日本大震災は1,000年に一度の災害といわれ、福島原発の放射能汚染の問題もあり、今後の東日本地域の再生や復興に何年かかるか見通しがつきません。が、復興に向けての力強い歩みも始まっており、今後の100年先、1000年先を見通した新しい時代にふさわしい復興計画が進みだすことだと思います。 この復興の歩みに合わせて、ご紹介した立命館大学大学院応用人間科学研究科では、「東日本・復興支援プロジェクト−対人援助学による家族・コミュニティ支援プロジェクト−」という研究科プロジェクトを立ち上げ、10年かけて対人援助学の分野での支援をしていくそうです。即ちこれまでに培った専門知識、技術、ネットワークを稼働させ、その地域ごとの現況にあった対人援助プログラムを提供し、現地の人々とネットワークを構築し、協働していきたい。ボランティア活動を通しての対人援助、心理臨床活動を通しての対人援助、あるいは援助者を援助するという活動を通しての対人援助等、様々なかたちでの対人援助を実践していきたい、と意欲的です。対人援助プログラムとしては、例えば家族をテーマにした漫画パネル展示や支援者支援、子どもの遊びワークショップなどを実施しているそうで、これらの実施を通じて、家族やコミュニティに寄り添って人々が復興の物語をつくっていく声に耳を傾け、時代と社会の目撃者・証人として存在し続けると共に、活動の記録を残し、対人援助学の役割を問う取り組みだそうです。 私は、心や体のケァーなどソフト面に重点を置いた支援が必要であると思っていますが、この対人援助学に基づく「東日本・復興支援プロジェクト」への支援を、我がクラブの災害支援活動の選択肢の1つとして検討してみるのもいいかもしれません。 ( 東日本・家族応援プロジェクト・http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsshs/sinsaiproject.html、村本邦子・人権のひろば86号参照) |