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■ ロータリーの奉仕とノブレス・オブリージュ

 本日は職業奉仕部門のクラブフォーラムがあります。小西担当理事、今日のフォーラムよろしくお願いいたします。ということで、本日は、職業奉仕に関係するロータリーの奉仕と、ノブレス・オブリージュについてお話したいと思います。

 ロータリーの奉仕(Service)の概念は、欧米人が永年信仰し続けてきたためそのDNAに刻みこまれているとジョークでも言いたくなる、キリスト教の神の教えを抜きにしては正確には理解できないという清水会員の説に私も同意するところです。したがって、キリスト教の神を信じていない多くの日本人に、神を信仰する欧米人がServiceと聞いて頭に浮かべる概念と同じ概念を頭に浮かべろと言われても無理があるのは仕方がないところです。それでも皆様は、努力して自分なりのServiceのイメージを作られておられることでしょう。私のイメージを言葉にすると、「神」への奉仕と同質の無私の奉仕とか、神への愛の奉仕という言葉になりますが、無私の奉仕「Service not Self」は後に超我の奉仕「Service above Self」に修正されていますし、このイメージは良くないのでしょうか。実感としてはよく掴めていないというのが正直なところです。
 ところで今日は、このロータリーの「奉仕」と「ノブレス・オブリージュ」についてお話したいと思います。
 「ノブレス・オブリージュ」とは、ご存じでしょうが、英国紳士が使う言葉で、高い身分に伴う道徳上の義務と定義されています。高い身分に生れついた者は、生まれつき優位な条件に恵まれているのだから、そのぶん社会に貢献すべき道徳的義務を負っているという考え方です。イギリス貴族は、この「ノブレス・オブリージュ」が身についているため、戦争の時には率先して将校となり、最前線に立って飛び交う弾丸をものともせず先頭を切って走って敵に立ち向かったと聞いております。この「ノブレス・オブリージュ」の考えの背後には、キリスト教の神の概念が伏在していると言われております。たまたま自分は恵まれて優位な地位に生まれてきて、その恵みにより素晴らしい人生を送っている。この優位さを自分ひとりで使っては、神のもとでの公平に反する。それを社会に還元しないのであれば神から許されないという感覚でしょう。
 この「ノブレス・オブリージュ」の考えも、ロータリーの「奉仕」の考えも、共に欧米のキリスト教の神の存在を背景とした考え方であると言えると思います。
 そうであれば、ロータリーの「奉仕」の考えの根底にも、ロータリアンは、職業を通じて社会的な地位を得て恵まれており、そのことがまた社会的に評価されているのであるから、その恩恵を社会に還元せずに自分ひとりで使ってしまったのでは、神から許されないかどうかは別にしても、公平さに欠ける、それでは社会が許さない、したがって社会に還元するための奉仕をしなさいという発想があるように思います。ロータリアンが、職業を通じて社会に貢献し、奉仕すべき運命にあることは必然だと考えるべきだと思います。